自殺の対偶は通り魔である
自殺の対偶は通り魔やテロである。
自殺を可能ならしめる社会を自殺産業といえば、
社会は個々の人々の自殺の差異を消去し、
死を社会機能に作り変えた。
自殺産業に取り込まれた人や社会は、
最早葛藤を覚えることなく、
自殺や通り魔やテロを、
人間的なことと思い、
凄惨なことと思わず、
日常行動の一つとして、
気楽に消費する。
自殺や通り魔は、自殺産業の一要素でしかない。
それらは日常行動に取り込まれた。
いじめ殺しは公害殺人は、
日常行動の一部となった。
*。
戦争産業は、ジェノサイドをスイッチ一つで行い、
そこに残虐とか非人間的とかの感情を排除した。
大量殺人を、
残酷とか残恨の思いを伴わず、
マニュアル操作として行える。
*。
無差別爆撃は、無差別戦争裁判を呼び、
殺したものを殺すのだ。
平和への犯罪というスイッチを押せばいい。
*。
日本人の一人称衝動は、
目前の絞首刑を怒るが、
遠くでやった無差別殺人を思うことは無い。
この心理こそが、
無差別殺人を平然と行う。
そうだ、感情が切れているのだ。
これこそが殺人衝動だ!
*。
キレる衝動こそが、
無差別殺人を行い、
目前の絞首刑に激怒する。
衝動の赴くままに動いている。
*。
国家は殺人を強要するが、
これに正当防衛させて、
それを絞首刑にすると、
自己の殺人は異物排除され、
正当化される。
この錯覚機構こそ、西欧理性の特徴だ。
*。
世界にテロをやり、
これに正当防衛テロをやらせ、
これを罰すると自己のテロは異物排除され、
意識から消滅し、
自己側が正当な絞首刑となる。
自由と正義は、相手に犯罪を行い、
これに正当防衛させて、
これを犯罪として罰することで、
自己の犯罪を強化し隠蔽し正当化する。
強化と隠蔽の対偶共振現象だ。
これらの仕組みは、
ニーアル・ファーガソンやジュディス・バトラーらが指摘している。
この考えは構造理性で簡単に割り出せる。
*。
即ち、自殺の対偶は通り魔殺人だ。
両者は、人や社会の仕組み上同時に起きる。


最近のコメント