Gёdelの不完全性定理の簡易証明
Gёdelの不完全性定理が社会科学にも成り立つ、
こうした考えに慣れてくると、
本当は成り立っていないのに、それを忘れてしまう。
こういうパラドックス存在する。
*。
引っくり返す、
Gёdelの不完全性定理は形式論理だけに成り立ち、
社会現象に成り立たない、
こういう考えに慣れると、
成り立つことを成り立たないとしてしまう。
こういうパラドックスが存在する。
*。
本当のところどうなんだろう。
そこで昔、簡易証明をやった。
*。
私はウソは申しません。
これはパラドックスだ。
ウソは言わないとウソをついていることもあり、
ウソをついていないからウソをついていないと言っていることもある。
この発言の中で、ウソかどうかは証明されない。
つまり意味のない発言だ。
*。
靖国に行くとも行かないとも申しません。
慰安婦問題はあったともなかったとも申しません。
典型的ゲーデル文だ。
この文章で、
この発言で唯一つ正しいことは、
発言したことだ。
*。
靖国発言はあいまいでも、
行くか行かないかはどっちかしかない。
Gёdelの不完全性定理第一定理では、
正しいか正しくないか決定できない命題が存在することだ。
第二定理では、
更に形式論理上、
正しい命題において、
その無矛盾性はその形式論理の中で、
その無矛盾は証明できない。
*。
では第一定理で、
そういう命題は存在しないとする。
二つの命題を、
両面テープの表裏に書く。
命題は同一であるから、
両面テープの交点として、
表裏を重ね、
Mёbius構造とする。
すると両命題は無限循環=発振し、
意味を成さない。
*。
命題が無限循環に陥ったのは、
命題は存在しないとしたからだから、
始めの命題は正しい。
*。
靖国問題では、
行くに決まっているのに、
はっきりいうと問題になるので、
あいまいにして、
煙幕や偽装によって、
問題を隠蔽した。
煙幕を張る必要がある、
それが靖国に行くことを意味する。
*。
今までのところ行っていないではないか。
だが行かないはずがないことは、誰でも知っている。
*。
証明しよう。
靖国に行くとも行かないとも申しません。
文章は二つに分解される。
*。
靖国に行くとは申しません。
対偶を取る、
靖国に行かないと申します。
*。
靖国に行かないと申しません。
対偶を取る、
靖国に行くと申します。
*。
ここに得られた二つの文章は矛盾しているので、
この発言自体が成立しない。
*。
靖国に行くとも行かないとも申し上げません。
この文章は無矛盾だ。
この文章の中で、無矛盾は証明されない。
*。
証明できるとする、
すると無限循環に陥り、
意味のない文章となる。
それは証明できるとすることが原因だから、
証明できないことが正しいとなる。
*。
靖国に行くとも行かないとも申しません。
この無矛盾文が成立したら、
どうなるのだろう。
行く状態と行かない状態が、同時に成立する。
*。
体は行かず、心が行く。
例えば供物を供える。
*。
体と心を切り裂く。
偽自己と仮自己の偽善と欺瞞の演技だ。
これは狂気の状態だ。
現に靖国発言をした人は、病気になった。
*。
証明不能決定不能、
無矛盾の証明できない状態で、これを生きる。
それは精神の病の状態だ。
発言者の、現実と精神がそれを実証証明した。
*。
通常この国では、
ウソで押し切るか、
問題をも問題にさせず、突っ張るかだ。
自分は狂わず、日本を狂わせる!
こういう人を大物というのだろう。


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