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2008年11月20日 (木)

ドロドロネチネチ言論

日本人の言論はあいまいである。
はっきり言えば反発を食う衝動構造だから。

だが殺意をあらわに、はっきり言えば通ってしまう。
日本人は衝動的だからだ。
だから人々は怖がり、逆らわない。

*。
従って日常言論は、ネチネチドロドロしたものになる。
反発を食わない言い方だ。
従って、主張はない。

このすっきりしない日常は、イライラを募らせ、
過激な言論を呼び、
結局過激な非日常を呼び起こし、
国家の行動は過激となる。

      *。
ぬるま湯ボケの日常は、過激な非日常を作る坩堝だ。

家で優しいお父さん、職場に出れば過激な強盗殺人者。
この二重人格が日本人の特徴となる。

*。
窓口では賄賂を取らないが、国家の金をすっぽり盗む。

この二重人格が日本人の特徴である。

      *。
日本人は、日常性の中に、過激な非日常性を持つ。

日常性においては、非日常性は敵である。

だが非日常性が暴れだすと、
これに支配征服される。

*。
日本人は、非日常性統合失調症だ。

優しい日常性で生活し、いざ非日常の残酷を生きる。

この二重人格性は、統合失調症を意味している。

*。
これが日本人の意識構造だ。

非日常は日常の裏切りであり、転向である。

だがいざ非日常の残酷を生きる。
優しさは、残酷を結晶する坩堝であった。

       *。
皆ニコニコし、しっかり挨拶し、優しく暖かい。

これが残酷を結晶する。

*。
即ち、優しさと暖かさは、過激な残酷を作る手続きだ。

即ち、優しさと暖かさは、強盗殺人である。

*。
日本世間は、対偶対称性をきれいに保存している。

優しさと暖かさは、過激な残酷を生む手続きである。

強盗殺人を目的として、優しく暖かい手段をとる。

     *。
即ち草履伝説が日本構造だ。

人の感情を焼き尽くして占領支配し、
相手の身体を殺し尽くして、
その生命財産を奪い尽くす。

*。
三光作戦は、衝動対偶性の結晶だ。

これが日本人の生き方だ。
世界を喧嘩闘争する宿命だ。

いや自分とも喧嘩闘争しなければならない。

これが立身出世だ。

*。
立身出世は、三光作戦の言い換えだ。

いい学校いい会社は、三光作戦であった。

      *。
相手を焼き尽くし、殺し尽くし、奪いつくす。

それは自分を焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くすことでもあった。

自分と相手を、焼き尽くし、殺し尽くし、奪いつくす。
ここに国家がある。

これが日本国の作り方であった。

*。
日本国は、人々が焼き尽くし、殺し尽くし、奪いつくした結晶であった。

そこに何がるのだろう。

全体なき部分がある。

結局、日本はごみの山だった。

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