仏教儒教は悪を隠蔽する
日本において西欧化は、
仏教と儒教は感動と癒しに拡張された。
もともと仏教と儒教は、感動と癒しの方法だった。
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社会にはびこる犯罪や狂気を、
放っておいて心の中に平穏を作る。
心と社会を切り裂いた。
この社会は暴力が支配する。
野放しにされたからだ。
国家は暴力組織となる。
これが仏教儒教圏の国家だ。
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この世界は暴力としての西欧に支配された。
西欧は鍛えられた暴力を持ち、
仏教儒教圏は野放しにされた、
ただ乱暴だけの錬度の低い暴力に止められたからだ。
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仏教儒教は、悪を心の外に除外し、
社会を悪の支配する世界を作った。
これは人を感動と癒しに囲い込み、
社会を悪に支配させることとなった。
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権力に道徳を説く、
馬の耳に念仏だ。
権力をまとめるのは、厳しい暴力だ。
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ところが西欧から法が入ると、
国家暴力が正当化され、
これによって西欧に支配されることとなった。
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仏教儒教は、西欧暴力に支配させる方法だった。
社会問題を、感動と癒しの問題に還元し、
社会問題を放り出して、
いい気持ちになる。
国家と権力が、結合を強化しながら、
それを感動と癒しに隠蔽する。
それが仏教儒教だった。
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対偶文を作れば、
仏教と儒教は、破壊と殺人だった。
そして破壊と殺人に、いい気持ちになる方法だった。
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仏教と儒教という誰も反対できない言葉によって、
略奪と殺戮を行う。
そしてそれをいい気持ちに還元する。
これがアジアではなかったか。
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